「伝える」ことのメリットがわからない

管理人ぺち、ことちひろです。

ASDの姉が意思の伝達が苦手だったことについて、斬新な説明をしてくれました。

コミュニケーションについての記事を開いてくれたあなたにまず謝っておきます。

 

管理人はあまりコミュニケーションで困りませんでした。

 

「てめぇ!ふざけてんのかバカヤロー!自慢か?自慢なのか?」

 

と仰りたい気持ちもあるかと思いますが、石は投げないでください。

あ、りんごは投げてもいいです。

おいしくいただきます。

 

 

さて、ではここでなぜこんなタイトルなのかということについてです。

 

姉はコミュニケーションに大変苦労してたのです。

コミュニケーションについての本を数十冊と読み漁り、それでもできない。

スポーツ、勉強、それこそ高校時代は進学校でクラストップを一度も譲らないほど、能力を高めても、鬼の首をとったかのように言われるのです。

 

「いくら勉強できてもコミュニケーションができなきゃねぇ…」

「おまえに何がわかる!!」

ってやつですよね。

現在コミュニケーションという言葉に嫌悪を抱いている姉ですが、なぜ伝えられなかったのか、についてこんなたとえ話をしてくれました。

わかりやすいようにと管理人ぺちが下手ながら絵を描きましたのでご覧ください。

コミュニケーションの例


ここにりんごが生っている木があります。

そのそばには巨人がいます。

りんごに軽々と背が届くぐらいですね。

そこにあなたがやってきます。

あなたは「りんごがほしいな…」と思いました。

さぁ、どうしましょう?

回答1:お願いする

 

巨人さんにお願いするんですね。

このパターンの方は社会性が発達しています。

現代社会はレストランの注文、スーパーでの買い物もこのパターンですね。

 

では、もう一つのパターンです。

回答2:登る

 

なんと巨人さんに登っちゃうんですね。

巨人さんにお願いするという発想がないんです。だってお願いしたところで何が起こるかわかりませんから。

人にお願いする、という考えがそもそもないんです。

 

 

「ほしいものは自分の手でつかみ取る」

これを当然のように行うんですね。

うん、かっこいいですね。

しかし、これをショッピングモールでやれば万引きの現行犯ですね。

「伝える」という行為に意味を見出していなかったら、コミュニケーションは成り立たないと思います。

いくら周りが

 

「何を言いたいのかわからない」

 

といったところで、

本人が伝えることによって何か変化がなかったとか、いいことがなかったとかいう場合は、そもそも伝えるという考えがありません。

 

その状態でのコミュニケーションについてのテクニックを学んでも、ほとんど活きないでしょう。

 

ですから、まず伝えることで「こんないいことがあるんだ」

と実感するのも大事なのでしょうね。


今回の記事は当事者さんより周囲の方に向けた内容になりました。

まだまだコンテンツも少ないので、じわじわと増やしていこうと思います。

ではでは~!